【道具フェチの心理】“使わないけど欲しい”に潜む人間観察
目次
- 1: なぜ“使う予定がなくても”欲しくなるのか
- 2: “無駄にかっこいい”が最高の褒め言葉
- 3: 経年変化に萌える“モノの物語”
- 4: ラジオ形式トーク(ふもとあさと&仲間たち)
なぜ“使う予定がなくても”欲しくなるのか
「これ、絶対使わないけど……欲しい!」そんなふうに思ったこと、ありませんか?道具フェチの人たちは、使う予定がなくても新製品をチェックせずにはいられません。なぜなら、彼らが惹かれているのは実用性ではなく、可能性だからです。
たとえば、最新のアウトドアギアやプロ仕様のDIYツール。実際に山に登る予定も、棚を作る予定もないのに、「これがあれば、いつか何かできるかも」と妄想がふくらむ。未来の自分が、今よりちょっと頼もしくなっている気がして、ついポチッとしてしまうのです。
持っているだけで“進化した自分”になれる気がする──それが、道具フェチの魔力なのかもしれません。
“無駄にかっこいい”が最高の褒め言葉
道具フェチにとって、道具の魅力は「使えるか」ではなく、「語れるか」。つまり、どれだけその道具が物語を持っているかが重要なのです。
たとえば、真鍮製のカラビナ。登山もしないのに、なぜか欲しくなる。重厚な工具や、軍用スペックのギアも同じ。使わなくても、「これ、いいでしょ?」と誰かに語りたくなるような存在感がある。そこに“所有する意味”が生まれるのです。
「無駄にかっこいい」──この言葉、普通なら皮肉に聞こえるかもしれません。でも道具フェチにとっては、これ以上ない最高の褒め言葉。実用性を超えた“ロマン”こそが、彼らの心をつかんで離さないのです。
経年変化に萌える“モノの物語”
道具フェチは、モノの“変化”に心を奪われる。新品の輝きよりも、使い込まれたレザーグローブのシワや、錆びたナイフのくすんだ刃にこそ、彼らは“時間の痕跡”を見つけるのです。
経年変化は、ただの劣化ではありません。それは、モノが“自分と共に生きた証”。手に馴染んだグリップ、色が深まった革、傷のひとつひとつが、使い手の人生を語りかけてくる。
道具フェチは、そんな“モノの物語”に耳を傾ける観察者。彼らにとって、道具とは「使うもの」ではなく、「語りかけてくるもの」なのかもしれません。
ラジオ形式トーク(ふもとあさと&仲間たち)
【読むラジオ】“使わないけど欲しい”はなぜ起こる?──道具フェチの心理を語ろう
さて、今日のテーマは「道具フェチの心理」。前半では、“使う予定がなくても欲しくなる”っていう不思議な感覚について話しましたね。琳琳さん、振り返ってもらえますか?
はい。道具フェチの人って、実用性よりも“可能性”に惹かれるんですよね。たとえば、登山しないのに最新のアウトドアギアをチェックしたり、DIYしないのに工具セットを欲しがったり。持っているだけで「進化した自分」になれる気がする──そんな妄想が購買欲を刺激するんです。
技術的に言えば、それは「自己効力感の投影」ですね。道具を所有することで、潜在的な能力を感じる。使わなくても“できる自分”を想像することで、脳が報酬系を活性化させるんです。
なるほどねぇ。じゃあ、使わないのに欲しくなるのって、ある意味“脳のご褒美”なんだ。
──ちょっと脱線:無駄にかっこいいって、最高じゃない?
ところでさ、「無駄にかっこいい」って言葉、僕すごく好きなんだけど……これ、道具フェチにとっては褒め言葉なんだよね?
そうなんです。彼らにとって道具の魅力は“使えるか”より“語れるか”。たとえば、真鍮製のカラビナとか、重厚な工具。使わなくても「これ、いいでしょ?」って言いたくなる存在感があるんです。
それは“機能美”ではなく“存在美”ですね。実用性を超えたロマン。道具が語る物語に価値を見出すのは、人間の文化的な特性でもあります。
わかるなぁ。僕も昔、革製の工具入れ買ったけど、工具は入れてない(笑)。でも、持ってるだけでちょっと誇らしい気分になるんだよね。
それこそが「無駄にかっこいい」の真髄です!
──結論まとめ:道具フェチは“モノの物語”に生きている
じゃあ最後に、今日のまとめをお願いできますか?
はい。道具フェチの心理をひもとくと、単なる物欲ではなく、“可能性”や“物語”への共感が見えてきます。使わないけど欲しいのは、未来の自分への期待。無駄にかっこいい道具に惹かれるのは、語れる存在感への憧れ。そして、経年変化したモノに心を動かされるのは、自分と共に過ごした時間を感じるから。
道具は単なるツールではなく、自己表現のメディアです。人はモノに人生を重ね、記憶を刻み、物語を語る。道具フェチとは、そうした“モノの物語”に敏感な観察者なのです。
いや〜、深いなあ。リスナーのみなさんも、家にある“使ってないけど捨てられない道具”を見直してみてください。それ、あなたの“もうひとつの人生”かもしれませんよ。